なにげない毎日はきっとカラフル

わたしのままのわたしを体験する、小さな日常。楽しい嬉しい好きを集めてみる。

春分の日

 

春分の日だ。


祝日だ。

 

わたしは、
ここ数年、二十四節気なるものを

意識しながら

生活していたりいなかったり。


季節が24もあって、

そのこまやかな移ろいを

生活の中に感じながら、

旬のものに触れながら

季節を愛でながら

動物、植物の声や動きに耳を傾けながら

自然と共に生活していたのだろう。

昔の日本は、日本人は、

なんだかとても豊かなだなぁと思う。


今となっては

二十四節気はあまり生活に馴染みはなくなり

春分秋分が祝日で

なんとなく垣間見える程度か。

ちょっと残念。


さらに、季節も最近は

春と秋がないのではないかと思うくらい

暑いし寒い。

今年はそれほど寒くなかったと思ったけど。

季節が細やかに移ろうというより、

なんだか大味な感じ。


それはさておき。


なぜ春分が祝日なのだろう。

これはしらべてみたら奥が深くて

ここでは割愛するけど

昔からの日本の在り方や、文化や

行われてきていることなどと

関連があるようだ。


もう少し

日本の文化に目を向けて

穏やかに日本の良さを美しさを

感じられたらなぁ

味わうことができたらなぁ

と思う。

生き急ぐこの時代にこそ


そんな生き方をしていきたいなぁ。

 

 

防災意識と想像力

 

またしても、

久しぶりになってしまったブログ。

書こうと言う気持ちは

頭の片隅にはいつもある。


自分の思考のとっ散らかり様と言ったら

もうね、なんというかね。ヒドイ。

 

 

3月11日が近づいてきたら

わたしは防災について

考えたり見直したりということを

なるべく意識をするようにしている。


頑張る時もあれば

なぁなぁになって流してしまう時もあるが。


たまに、311でなくても

防災意識にフォーカスがいく時期があり

地震に備える場合

台風や水害に備える場合

噴火に備える場合

など考えることがある。

それぞれ、必要なものは違うだろうなぁ。

と、思い立ったときに備えを考えたり。

 


今年は年明けに地震もあったし、

地震の多い国に住んでいる以上

防災意識は持っていたい。


地震大国に住んでる者のたしなみ(?)として

防災意識と備えはしておきたい。

 

 

コロナ禍を経たこともあり、

ローリングストックを採用し、

日常に消費するものに

備えのものを組み込んでみたりと

一応工夫はしてみる。


仕事で外出している時の

カバンにもちょろっと

防災対策を意識したものを入れてみたり。

 

 

防災対策としては、

家で避難生活を想定した備えとして

水や簡易トイレ。食料、衛生用品の類。

ここにローリングストック採用なので、

特別な備蓄って感じではない。


家から避難することを想定した備えとして

持ち出し用リュック


仕事に出掛けている時を想定した備えとして

防災ポーチ

 


みたいな感じで。

実際にそこまでの非常事態に

遭遇したことはないので

想像して対策する部分もある。

 

最近は、YouTubeなどでも

専門家の解説など色々あり、

助かるなぁと感心、

しかし感心してるばかりでなく

他人事ではなく自分事として

実践もしないと意味はないよな。

と、わたしなりに実践してみてる。


あとは、

仕事場で地震が起きた時の

避難についての行動など

脳内シミュレーションしてみたり

仕事場の地区の避難場所の確認をしてみたり。

 


そんなことをしてみても

いつもの備え、心構えとして

わたしなりに大事にしていることは

 

 

トイレを我慢しない!!!

 


ということ、

すごい大事だなって思ってる。

 

仕事の状況として、

トイレが後回しになってしまうことがある。

トイレへの欲求ギリギリのときに

非常事態になるのは

色んな意味で非常事態。

冷静な判断なんてできないだろう。


どうせすぐ着くとかで、急いで電車に乗って

何かがあって電車が何時間も止まる

とかも悲劇。


自分の身を守るって

いろんな意味で大事だと思う。

 

あと、備蓄品に缶詰とかの話、

実際には、水が使えないと魚の缶詰などは

あけたくなくなるみたいな話も聞いたことある。

 

 

生きるには想像力が必要かも、と思った。

 

 

 

何もないことを祈りながら

でも、何もしないのは違うと思うから。

 


危機感や防災意識は持っておきたい。

実践できる人であれますように、、

 

 

 

毎年恒例のお味噌の仕込み

 

今日は、

お味噌を仕込んできた。

 

わたしには、

お味噌の師匠がいる。

わたしが勝手に呼んでいるのだけど。


お味噌の作り方を教えてくれたり

材料の準備をしてくれて、

毎年、お味噌のガイドをしてもらっている。

いってみれば

お味噌教室、お味噌のワークショップを

してもらっている感じだ。

仲間たちと集まってお味噌作り。

わたしの毎年の楽しみな行事。


今日は少し寒くてよく晴れていて

お味噌日和だなぁ

とワクワクウキウキ。

 


お味噌を仕込むようになって

もう何年目だろう。


毎年、大豆は同じものでも、

大豆を潰しているとき

なんだか毎年

質感というかキャラクターというか、

違うなぁと思う。


この豆たちは、元気なキャラクターだな

と思う年もあれば、

おしとやかなお豆だなと思う年もあったり

そんな感じで、毎年、

大豆のキャラクター?質感が違う気がする。


今年は、

元気だけどなんだか落ち着いた聡明な子たち

という印象。

 


さくさく、さっさと豆をマッシュしていき、

麹と煮汁と混ぜて、

混ぜるのはこんなところでいいかな

と思ったら、

まだ混ぜて欲しそうで、

痒いところがまだ残ってるよ

みたいな感じがしたので

もうすこし混ぜてみた。

そしたら、なんだか

混ぜすぎて悪いことはない

みたいなことを言われてる気がした。

そして、最近のわたしは

ちょっとせっかちぎみなのかも、

丁寧さに欠けていたかも

ということにも気づいたり。

 


実際豆たちと

会話をしてるのかなんてわからないけど

そう思う。そう感じる。

そう言ってるように感じる気がするのは

もう仕方ないので、

そういうのは受け入れることにしている。

そういうのに従って、

作業をすることにしている。


毎年やっていくと

なんとなく豆との対話?をしているような

まぜるのはもう良いな、とか

まだだなとか、

なんだか心通ってなのか、

感じることがある。

不思議だ。


おいしくなぁれ

おいしくなぁれ

とねがいを込めながら

作業をしていく。

 


自分でお味噌を作ると

お店で買えなくなる。

手前味噌ですが。

美味しい。

これがまた、わたしの食生活を彩るのだ。

宮沢賢治のアメニモマケズご飯などと

わたしが呼んでいる

「玄米と味噌と少しの野菜」

というくらい質素なものでも。

欠かせないご馳走。

 

新しいお味噌を仕込んだら

前年に仕込んだお味噌を開けて解禁する。

これもまた楽しみだ。

 

現代人の忙しさの正体みたいなもの


なんというか。

 

いつしか、

ブログを書く習慣を

手放してしまったのだろうか。


気がつくと、書かない日常になっていた。

 

 

今日も、断捨離してからの自分の観察記録。

 


断捨離して、気づいたことがある。


モノは相変わらず

もう少し手放したいと思っている。


そして、

スマホゲームとか、ナンプレからも

離れることができた!!

ついにやったー!


そしたら、驚いたことに、

いままで何してたっけ、

と思うくらい、

ものすごく、ぽっかりと手持ち無沙汰になっている自分に気がついた。

何かしていないといられない

というほど追われた気持ちではなくても、

何かを常にしていた、

隙間をうめるような意識になっていたような気がする。

自分はスマホ依存ではないと思っていたけど、

こういう感覚の延長線上に依存があるのだろうか。


スマホアプリとか

無駄に(?)やってたことを手放したら、

時間の過ごし方の見直しなども

着手するのがよいのだろうな。


それにしても、

ゲームとかを手放したら

何してた?

何したらいい?

という感覚になった。

それほどスマホに時間を捧げていたのだろう。

(言うほどゲームしてない、けど、

隙間時間みたいなものの、

時間の埋め方みたいなものの感覚として。)


ガラケー時代は、

ポケベル時代は、

ゲーム機のない時代は、

電話のない時代は、

 

人々は
どんな時間の過ごし方をしていたのだろう、

なんて思ってしまった。


現代人の忙しさの正体って

常に何かに意識と時間を捧げていて

自分の時間を持てていないのかな。

なんてことを思った。

 

隙間なく何かに触れてる感じで。

空を見るとかもなく

余白、空白のない、意識の在り方。

 

もう少し自分の中でこういう視点を

煮詰めていきたい気もしたけど

今日はこの辺で。

断捨離、できてないのは断か離か。

スマホの中身の断捨離。

使わなくなったアプリとか

いろんなものを見直している。

 

生活の仕方というか、

採用するものなども変わってきているので

これもいらないな、と思うものも出てきた。

良い機会なので見直し。

 

 

さて、

 

断捨離とは

 

読んで字の如く、、

 

不要なものを

断ち

捨て

離れる

 

ということで、

 

ずっとやってしまうゲームは

手放せた。

スマホから削除はしていないものもあるけど、

ゲームをプレイしなくなった。

やればできる、わたし。

 

しかし、

ずっと、大好きなナンプレ

今までは冊子?雑誌?を

ダイソーで買ってしまうこともあって、

それを買うことは

見事に自粛できているのだが

 

つい、スマホに入っているものを

やってしまう、、

 

そして、

あ、いかんな、これは

と、また削除。

 

捨てる、

離れる、

ができてるけど

 

断つことができていないのか

 

それとも、

離れていないから

触ってしまうのか、

 

ナンプレ

好きなゆえに

時間泥棒されてしまうものではあるので

これが無くなるともう少し健やかになるのでは、

と思いつつも、、

 

時間決めてやる、

とか、うまく管理するか、、

うむむ、

 

うむむ、

 

 

 

しかしほんとに、

触るものが変わると

生活が変わるのか

 

生活が変わると

触るものが変わるのか

 

面白い。不思議。

 

ゲームをしなくなると 

本を読む時間が増えたり

 

で、最近はナンプレしちゃうし。

また読書に戻したり

離れてないのか断ててないのか

読書とナンプレを行ったり来たりしている。

 

この勢いで、ナンプレのない生活を

してみようと思う。

 

えいやっ!と削除はできる。

できるんだが、

 

離れるんだー!

触らないように

自分のフィールドに入れないように

断つんだー!

 

断捨離後の変化[使い捨ての見直し]

大掃除と断捨離のあとの、

生活の仕方や何か

色々変化したことがある。


ものを減らしていく中で

色々な思考?の変更が起きた。


ものが減り

掃除がしやすくなったからか、

掃除の仕方と道具の見直しをしたくなった。

そして、生活のルーティンにも変化があった。

 

すこし衝撃だったのは

いかに、ものを消費していたのか、ということ。

使い捨てのものを多用していた。


雑巾で水拭きをしてると、

使い捨て掃除シートはいらないのではないか


キッチンも、排水溝のゴミ受けに

ネットをかけていたが

毎日掃除したら、

ネットもいらないのではないか

 

そうしたらストックもいらない

消耗品を置くスペースもいらない

そもそも消耗品を買わなくなる。


プラごみの削減にもなる、

ゴミも少なくなる、

あれっ、環境に優しいわたし?なんて。

これはおまけの後付けの思考だが。

 


雑巾掛けだなんて、

日本人的だな、むふふ、

もったいないの心のような

消耗品に頼りすぎず、丁寧にものを

(使えてるかはわからないが)使うのも

日本人的だなと思う、むふふ。

という謎の満足感。自己満足だけど。


以前、和室の旅館に泊まったとき、

他の部屋のお掃除の気配を感じた。

はたきで、払っていってる音が聞こえた

そんなシーンを思い出して

今使ってるウェーブとかの

ハンディワイパーなんかも

手放せるのか、、と思ったが、

わたしはウェーブが好きなので

これはこのままで。

 


ということで、試しに

キッチンの排水溝のゴミ受けに

ネットをするのをやめてみた。

今までは週に1、2回ネットを替えていた。


基本作り置きもよくしていて

毎日料理をしているわけではないので

そこまでゴミが溜まらないのもある。

なので、

それにかまけて替え忘れることもある。

よくある。

しなくてもまぁいいや、

になることも、よくある。

忘れていくと、当然汚れる。

ネットがあると便利ではある。


毎日軽く掃除して

ネットがいらないかもチャレンジした。

そして、今、一月も末を迎え

この新年から約1か月ほど継続できた。

その結果、ネットがなくてもアリだな

それで問題なくいけてるなぁ、と思った。

ついに、ネットを手放すときが来たか。

 


ただそれだけのことだが

当たり前に使っていたもの

あるのが当然としていたものを

見直したり、やめたり、切り替えたりするのは

生活の仕方やサイクルなどを

変えることになるから

ちょっとしたチャレンジというか

取り組みではあった。


ちょっとしたついでにちゃちゃっとそれをやる

という程度でも毎日やっていると

当たり前になるし苦にならないし

掃除はやはり身体も気持ちもすっきりする。

 


たまに、めんどくさいと思うこともあるが

理由や言い訳するのをやめて、

何も考えずにやることにした。

パジャマを着替える時に、着替えたくないとか

言い訳しないのと同じような感覚で。

 


だいぶ変わってきた、

わたし自身も、生活の仕方も。

だけど、1月が終わろうとしていても、

微妙に試行錯誤中。

物の位置が決まらない物とかが、まだある。

 


もう少し手放しながら

生活を整えて行こうと思う。

 

断捨離後の変化[掃除について]

大掃除と断捨離のあとの、

生活の仕方や何か

色々変化したことがある。

 

ものを減らしていく中で

色々な思考?の変更が起きた。


YouTubeの掃除のモチベアップ系の動画を

BGMにしていて、

感化されたのもあるかもしれない。

 

断捨離してから、

大掃除してから、

掃除のモチベアップ動画の影響からか、

掃除の仕方が変わり

毎日掃除するようになった。


フローリングを毎日雑巾で水拭き。

寝坊したり時間のない時は

ウェットタイプのお掃除シートで

とりあえずささっと拭く。

(洗う手間などから、雑巾より便利)

玄関のたたきを水拭き。

トイレも毎日掃除。


毎日ここまでするようになるとは。

雑巾で水拭きするようになるとは。

すごい変化。

 

それまでは

掃除は休みの日にしかしてなかった。

便利さに目がいき、

フローリングワイパーというの?

これで床をささっと。休みの日に。

雑巾の出番は大掃除のときくらい。

あと、

毎日することは、

コロコロでその辺の気になるゴミ、髪の毛とかをとる程度。

トイレも毎日は掃除してなかった。

 


雑巾で水拭きをした後の爽快感は

とても気持ちよくてスカッとする。

 

掃除したら運気がアップする

みたいなことが言われるが

そのために掃除しようと

思っていたわけではないけど


仕事運は少し上がっているのかも⁈

と思うことはちょこちょこある。

となると、即効性があるということか?


運気上げるために掃除するぞ

と思っていたら、もしかして

これが掃除の力か!すごい!掃除!

という考え方をしたかもしれない。


実際もしかしたら、そうかもしれないけど

掃除信者?みたいになるよりは

丁寧に生活をしているわたしでありたい

と思うので、

効果効能のための掃除より

わたしの生活を整える掃除をしたいと思う。

 

掃除で整うから

めぐりがよくなる、みたいなことなのか。

 

自分を整えるにも

掃除はすごいのかもしれないけど、

 

きれいだとスカッとする

それと、

 

 

掃除の後の、身体にも爽快感がある。

 

これが1番、不思議な、

なにか効果のように思う。