なにげない毎日はきっとカラフル

わたしのままのわたしを体験する、小さな日常。楽しい嬉しい好きを集めてみる。

毎年恒例のお味噌の仕込み

 

今日は、

お味噌を仕込んできた。

 

わたしには、

お味噌の師匠がいる。

わたしが勝手に呼んでいるのだけど。


お味噌の作り方を教えてくれたり

材料の準備をしてくれて、

毎年、お味噌のガイドをしてもらっている。

いってみれば

お味噌教室、お味噌のワークショップを

してもらっている感じだ。

仲間たちと集まってお味噌作り。

わたしの毎年の楽しみな行事。


今日は少し寒くてよく晴れていて

お味噌日和だなぁ

とワクワクウキウキ。

 


お味噌を仕込むようになって

もう何年目だろう。


毎年、大豆は同じものでも、

大豆を潰しているとき

なんだか毎年

質感というかキャラクターというか、

違うなぁと思う。


この豆たちは、元気なキャラクターだな

と思う年もあれば、

おしとやかなお豆だなと思う年もあったり

そんな感じで、毎年、

大豆のキャラクター?質感が違う気がする。


今年は、

元気だけどなんだか落ち着いた聡明な子たち

という印象。

 


さくさく、さっさと豆をマッシュしていき、

麹と煮汁と混ぜて、

混ぜるのはこんなところでいいかな

と思ったら、

まだ混ぜて欲しそうで、

痒いところがまだ残ってるよ

みたいな感じがしたので

もうすこし混ぜてみた。

そしたら、なんだか

混ぜすぎて悪いことはない

みたいなことを言われてる気がした。

そして、最近のわたしは

ちょっとせっかちぎみなのかも、

丁寧さに欠けていたかも

ということにも気づいたり。

 


実際豆たちと

会話をしてるのかなんてわからないけど

そう思う。そう感じる。

そう言ってるように感じる気がするのは

もう仕方ないので、

そういうのは受け入れることにしている。

そういうのに従って、

作業をすることにしている。


毎年やっていくと

なんとなく豆との対話?をしているような

まぜるのはもう良いな、とか

まだだなとか、

なんだか心通ってなのか、

感じることがある。

不思議だ。


おいしくなぁれ

おいしくなぁれ

とねがいを込めながら

作業をしていく。

 


自分でお味噌を作ると

お店で買えなくなる。

手前味噌ですが。

美味しい。

これがまた、わたしの食生活を彩るのだ。

宮沢賢治のアメニモマケズご飯などと

わたしが呼んでいる

「玄米と味噌と少しの野菜」

というくらい質素なものでも。

欠かせないご馳走。

 

新しいお味噌を仕込んだら

前年に仕込んだお味噌を開けて解禁する。

これもまた楽しみだ。