なにげない毎日はきっとカラフル

わたしのままのわたしを体験する、小さな日常。楽しい嬉しい好きを集めてみる。

言語化できない何か(気持ちや思考)を、言語化してみた。

今日は、ハッとしたことがあった、

気がするのだけど

うまく言語化できるだろうか。

 

気づき?というのか

どう表現したらいいのかわからないけど

 

とても些細な感覚で、些細すぎて

感覚的でどんな感情や思考がよぎったのか

よくわからない。

 

 

頑張って、言語化してみよう。

そのぼんやりした感覚の、輪郭を捉えてみよう。

 

 

嬉しい楽しい好きが疎かになってだいぶ経ち、

仕事しか無くなっていることに気づいて

自分のことをもっと積極的に

しあわせにしてあげたいと思う近頃。

 

 

ここ最近、とあるモノが気になっていて

それをいただいたり

それについての情報に触れたり

ということが増えて

ちょっといいなって思っていたけど

自分がそれを買う?まぁいいか

自分が手にするほどでもないかな

みたいなこと考えていた。

 

そしたら

何と驚いたことに

今日、わたしにとってまさに欲しかった感じの物を頂いた!

しかも様々なおまけつきで。

もう、どれが本題?本体?かわからないくらい

ギフトが満載過ぎて。

驚き過ぎて受け取りのキャパオーバーではなかろうか

驚き過ぎて実感というか当事者感薄れてる感じ。他人事みたいな。

でもくれた人は、なんてことのない感じでポイポイ渡してくるので

ホイホイな感じで受け取ってしまった。

 

 

そんな感激なことがあり、思ったのは

 

手にすることを諦めていた感じの気持ち、

このパターンでいろんなことから遠ざかっていたけど

いいな、欲しいなとか、思ったものについて

わたしに情報や助けの手というとおおげさかもしれないが

そういうものが確実にあったのだなと。

 

 

望んでいることを諦め過ぎた結果

味気ない日常になってしまった

 

それは

日常に何もなくなったのではなくて

自分が手を伸ばすこと

手にすることを

諦めていたからだったのかなと。

 

何もない、手に入らない、叶わないではなく

わたしが何も求めていなかったというか

諦めていて、全てが、どこか遠いところの話みたいな感じで

欲しいものを手にしている自分って

どこの世界の話みたいになっていた感じ。

 

欲しいと思う感情の動きよりも

いいな、で、すでにもう終わらせていたから

望むものとの距離ができていて

その距離は自分から取っていたということかもしれない

 

 

手に入らないから

まあ、この辺にしておこう

という感じになったというか

 

でもその手に入らないから

という感覚は

自分が先に

手に入らないことを許容し想定していて

自分から手にすることを諦めていた

 

そんなこんなをしていると

欲しいものって何だっけ状態になる。

そんな感じの心の動きがあったような

気がして。

 

なんか、ちょっとハッとした

 

もっと、欲しいものを認めて

望んで、手に取っていいのかもしれない。

と思った。

 

その望んでいるものは

例えば仕事でこの先どうしていたいとか

自分がどうなりたいとか

自分の人生のビジョンみたいなものについての話にも言える感じがしている

日常の小さなこともそうだけど。

日常の楽しい嬉しい好きもそうだけど。

 

フリーランスなので

もっとこうしたいとかが

自由なはずなのに

少しモヤモヤしていたのは

こういう部分、自由に突き抜けていいはずなのに

自分のビジョンを描ききれずにいた気がして。

 

なんかちょっと

ハッとした。

 

 

言語化できたのかわからないけど

もう少し自分の気持ちとか感じてあげたいな

と思う。

 

とりあえず今日はここまでにして

アイスを食べることにする。

 

 

 

今日も

お読みいただき

ありがとうございます。